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雑記・雑感

厳島神社


電気の無い時代の建築は、やはり空間に奥行きを感じます。

天井は深く暗い色で、その先に無限の虚空が広がっているかのように視界から消えていきます。朱色とのコントラストのなせる技ですね。

建物全体が逆光になる時間帯なので、本殿の柱は天空光だけを反射していて、やわらかい反射光はまるで柱自体が発光しているかのよう。

連続性、伸びやかな水平のラインの中に、少しずつ加えられた小さな遊びが日本独特の細やかさを感じさせてくれます。

駆け足の訪問でしたが、たくさんのいろんなヒントをもらい、ついでに癒されてきました。 (H)


箱根訪問

設計の相談に乗ってほしいと声をかけられ、箱根にある恩師の家へ、久しぶりにお邪魔しました。

数年前に定年で退官されており、最近の法規には疎いから現役にチェックしてほしかったみたいです。ま、結局作図も手伝うことになりそうなんですが。。。

以前にご自分で設計した住宅を、定年を機にタイミングよく買い入れてお住まいになっているのです。

じつは自邸を設計して住むのはけっこう勇気がいるもの。なぜなら、訪れる人はみな、設計者本人の集大成だと思ってじっくり見ようとするので、雑然と住むわけにもいかない。それに、何かやり残したことでもあれば何かにつけ思い出してしまい、毎日後悔しながら住むことになってしまいます。

恩師の家は、開放的で気持ちよく、奥まで土間が通り抜けるしつらえでとても使いやすい住宅です。そして、いつも季節にあった小物たちで室内が彩られています。素敵なのは、生活に必要なものだけが置いてあること。飾るためだけの飾りは最小限しかなにのに、とても心地よい空間が演出されているのです。

「私もいつか、自分の設計した住宅でこうしてのんびり過ごしてみたいなあ」

訪れるといつも渡される、小さなコーヒーミルで2人分のコーヒー豆を挽きながら、そんなことを思ったのでした。(H)


2005/10 小布施の街並

街並というのは、つくろうと思うととても難しいものです。ほんの100年前には、同じ地方であれば、同じような技術と同じような素材で同じような建物が建っていました。それがその地方の気候や生活様式によって育まれたものだったから、地方によって違う街並があったんですね。今では技術の発達によりどこでもどんな様式でも建てられるようになりました。それとともに、古い意味での街並は失われてしまったわけですが。

先日立ち寄った長野県の小布施町はとても良い街並でした。小布施町は観光が主な産業で、街並も主には観光資源としてつくられているようです。観光目的の街並づくりは、とかく押し付けがましいものになりがちですが、小布施町の街並は住んでいる人々の生活を犠牲にしていないというか、とても自然な感じがしました。建物の多くは新しいものなのに、古くから残っている多くの蔵やわずかな民家とちゃんとバランスがとれていて、緩やかな規制の中で人々が積極的に街並づくりに参加している気配がにじみでていて、心地よさを感じました。

ひとつひとつの建物を設計するときは、もちろんそこに住む人、建てる人の夢の実現を第一に考えています。でも同時に、まわりに住む人にとってどう存在するかということも、とても大事にしたい部分です。(H)


2005/9 一編の詩

私の在学中に退官された教授が、先日、ドロシー・ロー・ノルトの『子ども』という詩をワープロ(パソコンじゃなくて)でプリントしてくれました。存在は知っていたのだけどあらためて調べてみると、子をもつ親たちにとても人気のある人、そして作品なんですね。カタカナの「ドロシー・ロー・ノルト」で72,000件も検索にヒットしました。そういえば、皇太子が誕生日の記者会見で紹介していましたね。


  ドロシー・ロー・ノルト  川上邦夫訳


教授曰く、今の若者が少しおかしいのは僕たちの世代に責任がある。設計者は、日本の建築・住宅が子どもたちに対して悪い影響を与えていることに気づかないといけない。そして気づいている人はちゃんと変えていかないといけない、とのこと。建築が人生に与える影響力を軽視しないこと、住宅を設計する責任の重さに対して気づかない振りをしないこと。これが、設計者に求められているのだと、教授はいうのです。そして、今はほとんど住宅設計をしていない教授が「僕にはこんなプリントを配るくらいしかできないから」といって現役たちに配ったのがこの詩です。

私の描く建築にその力があるだろうか。ふいに渡された一枚の紙がとても重く感じるのです。(H)


2005/7 夏雨

「暑いですね」があいさつ代わり。気がつけばもうそんな時期になったのかと思います。服装も半袖か長袖か迷わなくなりました。

こちら名古屋では梅雨入りしたというのに、雨がほとんど降らず一日中降り続ける事は皆無です。題名を「梅雨」にしようかと悩みましたが、梅雨らしくないお天気のため、それでも時々降る気まぐれ雨をテーマにお話をしたかったので「夏雨」に決めました。

皆さんは夏の雨について何か思い出はありますか?私はジリジリ照りつける太陽の中、突然降り出した雨で道路のアスファルトから上がる蒸気のにおいと、珈琲牛乳色の水たまりを思い出します。昔の道路はデコボコしていて雨が降ると巨大な水たまりができました。そこにお気に入りの、白地にピンクのラインが入った長靴で水たまりの一番深いところに立つのが大好きでした。しばらくじっとしていると、珈琲牛乳色が次第に透明になり、雨上がりの青い空と白い雲が浮かんできます。もう少しじっとしていると、もしかしたら水たまりの中の反対の世界に行けるのではないかと思い、日焼けするのも気にせずただひたすら待っていた事が幾度もありました。水たまりの世界に行った事を他の人に知らせるため、目印にビー玉を置くのがルールで、帰りはビー玉目指して元の世界に戻るつもりでした。

あれからもう20年近く経ちましたが、水たまりの世界が無い事と、道路に水たまりが出来なくなった事、そして長靴も履かなくなった私に、アスファルトの蒸気だけが夏の訪れをお知らせしてくれます。(優)


2005/4 

春ですね。夏は暑くて「夏ですね〜」と言い、冬は寒くて「冬ですね〜」と言いますが、春はあったかくなったからということより、春らしいいろいろなできごとに対して「春ですね〜」と言っている気がします。

事務所の隣は駐車場になっているので、窓の前が少しひらいています。そこから、少し離れた高層ビルや裏の庭に咲くさくらを見ることができます。私たちはこのさくらを見ながら(一部の人はかゆい目をこすりながら)午後のコーヒータイムを、春の気分にゆだねて過ごしています。

少し規模の大きい取引先に電話をかけると、新人さんが緊張した声で電話に出てくれます。「○○さんはいらっしゃいますか?」と聞くと「○○さんは今、いません」と返してくれます。この時期に、こういうやりとりで「あそこの新人はなってない!」とか言って怒る人ってあまりいないですよね。季節ものだし、かえってホッとしたりして。

窓の外のさくらを背景に模型をつくるスタッフは、白いTシャツ1枚。隣では鼻をかむ音。いや、まさに春ですね〜。(H)


2004/8 ブリコ1年

木造家屋をリノベーションした事務所で1年が経ちました。

木造建築が職場であった経験は初めてで、身体感覚に親近感があるせいか、リラックスして仕事をできる気がします。小屋組をあらわした打合せスペースはメンバーにとっても心地よい空間となっています。

このリノベーションによって新しくできた空間の中に、人々が集まってきました。仕事をする人、住んでいる人、遊びに来た人などが顔を合わせます。そこで新しくできた場(コミュニティ)のようなものがあります。そこでの人間の距離感は、適度な距離を保ちつつ、安心感のある距離です。ワンルームマンションの隣人のように近くて遠い存在ではないし、ハイテクオフィスのように生活感の希薄なクールな存在でもない。なつかしいようで新しい感覚です。

オフィスと住居、分割されがちな機能をつなぐこと。昼夜や休日など活動時間帯が相反することを利用して部屋をシェアしたり、無人状態を減らすことで防犯性を高めるなど、お互いにメリットをもたらすということも考えられます。

都市居住の利便性を享受しつつ、巨大な都市の中で身体感覚を持続できる心地よいリノベーション空間があります。(W)


2003/9 コンバージョン/リノベーション

事務所設立にあたり、築42年の古い和風木造家屋の内部を、職住の混在する現代的な空間にコンバージョン/リノベーションし、そこへ私たち自ら入居しました。

ここには bricoleur の事務所と、メンバーの家族一組とに加え、他に2人の単身者が住人として同居しています。私たちは都市にいかに棲みつくのかという感覚として、多くの同世代の人たちと同様、部屋をシェアしたり自分に合った空間に改造するということをしながら暮らしています。

リノベーションをするということは、建物の歴史をひも解くと同時に自分自身の歴史をさかのぼる作業です。そこで営まれたであろう暮らしの様子と、自分が今まで営んできた暮らしの様子を掘り出し、比較し、そこから次の暮らしのモデルを抽出して、その暮らしぶりを夢見て新しい空間を構築する、そういう作業だと考えています。(H)

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